同情と共感

ある不登校で対応に悩んでいる母親との会話です。

>なぜ、人は共感は、嬉しくて、同情は、いらないと、思うのですか?
人間を含めて多くの動物(特殊な状態を除いて)での本能的な恐怖は、痛みと否定(孤立、ある種の動物ではその種の進化のために一時的に孤立を選択する場合もあります)だと思います。
話を聞いてくれる人に共感を感じるなら、その人とお母様が一体感を感じられるからでしょう。同情と感じられたときには、その人との間に、お母様は心の距離を感じた、その時御母様が求めていらっしゃったのは一体感だったのでは無いかと思います。
話を聞いてくれた人はどの様な思いでお母様の話を、思いを聞いてくれたのか分かりませんが、素直な心でお母様の心を聴き反応をしたなら、お母様は共感と感じたと思います。多くの場合、それは行動や表情に表れ、発する言葉も短いはずです。
話を聞いてくれたにとが、お母様を励まそうと意図して、お母様の話しを聴き、お母様を励ますための言葉を選んで反応をしたときには、同情と感じたと思います。話を聞いてくれた人から発せられる言葉は長い傾向があると思います。

>例えは、転んで足を骨折してしまった時の同情は、そんなに嫌ではない気がします。
骨折しても、骨折した人が治療を受けている場合には、その人の心は孤立していませんね。同情でも孤立していませんから、孤立を意味する無視よりは、非難よりは、嬉しいはずです。

>でも、子どもが学校に行かれなくなったことへの同情は、余計に辛くなります。
子どもが不登校で母親が辛いとき、母親の心は理解されないで、孤立しています。共感だと心の距離がない、同一感がある、少なくとも共感してくれる人と複数で、孤立ではないです。同情は距離感がありますから、忘れていた自分の孤立をより強く感じてしまうのでは無いかと思うのです。

>だから、職場では、私は嘘をつき通しています。
職場で孤立しても、お母様を支えてくれる誰かがいらっしゃるという意味だと思います。もしお母様を支えてくれる人がいなくても、お母様の母性から、孤立に耐えられているのではないかと推測されます。同情も欲しくない、お子さんの不登校について触れたくない、職場では忘れていたいと言う意味では無いかと思います。

>心配して同情してくれる人は悪い人ではないのです。むしろ、とても良い人達です。
きっとそうだと思います。親切だけれど、肝心な点を理解してくれていないという意味で、同情と感じてしまうのでしょうね。

>これは、親切も場合によっては、人を苦しめると先生がおっしゃることと、一緒ですか。
そうだと思います。
この親切について、高井さんに一つ質問がありますが、時間が出来たらします