良くある質問

>同じ親が育てても兄弟でも性格が違うのに、不登校になると皆同じですか?
>その子供に会わず、その子がよい子を演じている、なぜ分かりますか?

>同じ親が育てても兄弟でも性格が違うのに、不登校になると皆同じですか?
子どもそれぞれで性格が異なります。その結果学校で辛くなる原因や具体的な事柄で子どもが辛くなるなり方は皆異なります。ですから不登校分類2では、学校内にある嫌悪刺激は子どもによって異なります。不登校分類2では、学校内の嫌悪刺激が子どもによって異なりますが、その異なる嫌悪刺激が無くなると子どもは学校に行っても問題なく学校生活が出来るようになります。

ただし、それは頭の体操で、学校内に嫌悪刺激が一つだけだと、その一つの嫌悪刺激が無くなることで学校に行かれるようになりますが、複数ある場合には一つの嫌悪刺激が解決しても必ずしも学校に行かれるわけではありません。但しその嫌悪刺激から生じる辛さは一般にfecorから生じる辛さより遙かに弱いです。それ故に大人が不登校分類2の子どもを学校に押しただけで、子どもが学校に行かれる場合があります。

不登校分類3は学校に対して反応をするトラウマ=fecorです。このfecorが出来る過程は子どもによって皆異なります。それは子どもの持つ性格に由来する場合と、学校の特殊性とが関係します。しかし一端fecorが出来てしまうと、fecorは学校や学校という概念に反応をしますから、日本中の学校に基本的に反応をします。見聞きしたことのない学校でも、子どもが学校と認識すると、学校として反応をして子どもが辛くなり多くの場合動けなくなります。

fecorは性格の違いとは違います。きっと不登校分類2と混同されているのだと思います。叉不登校分類2と不登校分類3とを区別して理解するには、それなりの経験が必要ですから、このような疑問を持たれるのは当然ですし、場合によっては私のこの回答を理解して頂けないかもしれません。

この説明は脳科学からの結果を子供の心に応用した物です。私以外にこのようなことをしている人は今いないと思いますから、きっと初めて聞かれる話だと思います。遠慮無く質問をしてください。

>その子供に会わず、その子がよい子を演じている、なぜ分かりますか?
これも常識的な心の考え方からの質問ですね。

不登校分類3の子どもはfecorを持っていることが特徴です。この心に置ける事実を理解しないと、以下の説明を理解して頂けないと思います。

fecorがあれば子どもは学校や勉強を含めて学校関連の物に反応をして辛くなります。ですから不登校の子供が特別教室で楽しく過ごしていると見えても、潜在意識にあるfecorが反応をしてとても辛いはずです。辛いはずと書いたのは辛いのに辛い姿を見せないからこのような表現をしました。これをよい子を演じると私たち子供の心の問題を扱っている者は表現しています。

子どもがよい子を演じると、よい子を演じるという概念を持っていない人は、子どもが本当に良い子だと、一生懸命に成長しようとしている、それを応援する必要があると考えます。性格の良い子、頭が良い子は、子どもは可能な限り良い子を演じ続けようとします。けれど良い子を演じ続けるにはその時に存在する辛さを我慢しなくてはなりません。その辛さは相乗作用がありますから、辛さは段々高じて、やがてよい子を演じられなくなります。荒れたり問題行動に移行をしていきます。

この説明を理解出来たら、子どもに会った、会わなかったは意味がないことが分かります。不登校分類3の子どもが学校と関わる、勉強と関わる、この事実は子どもがよい子を演じないと出来ないのです。上記の様に子供の心の仕組みから言えることなのです。

以上のように心が辛い子供の心を理解するときには、常識的な考え方が当てはまらないのです。