神経学的見地から

>薬で人格が作られるなんて恐ろしいです。
きっと皆さんは考えたことが無いと思いますが、心が脳の機能だと言う事を前提にお話を聞いて頂きたいと思います。

脳は情報処理の臓器です。脳の情報処理の仕方は成長の影響を強く受けます。成長や生活の中で、体外から情報を受けて、それを脳で処理をして、その結果を体外に表現する情報を体中に送り出すのが脳です。それはどの動物でも共通ですが、動物により体外からの情報を処理できる脳を持って居る動物と持って居ない動物がいます。人間の脳はその動物としての脳の頂点にいると言って良いと思います。

体外から受けた情報をその個体に一番良い様に脳内で処理して体外に表現する情報を作る、それを一度するとその後同じ体外からの情報に迅速に脳内での処理が行われるようになり、体外への反応も早くなり、その個体の生存をより確実にします。

この脳内の情報処理がその個体の存在を阻害する方向に機能をしているのが、精神症状の一面です。ですから、精神症状を無くすることはとても大切です。その精神症状を無くするのにその個体が置かれている環境を変えることでなくするのがその個体の生物学的な意味合いです。人間の場合、薬でその精神症状をなくそうとしています。本当にその精神症状だけを無くする薬なら良いのですが、その薬を使う人の精神症状を全て無くするのではありません。ある割合の人のある程度を軽減するとしか分かっていません。

それでも大人の場合、その薬の効果で社会活動が出来るようになり、それなりのメリットがその人にありますから、薬のデメリット以上に薬の効果がありますから、薬を使う意味があります。薬も当人の判断で飲むことが出来ます。

子どもの場合、薬の効果はそのこどものためとして、薬を使おうとします。然しその子どものためとはその子どもを取り巻く大人のためという意味だと理解されます。子どもは良いも悪いも、その子どもなりに成長をしようとする本能から成長をしています。薬はその本能を否定することになります。また、子どもは自分の判断でクスリを飲むことを許されません。子どもの本心から言うなら、その子どもなりの成長をしたいという本心を否定されることになります。クスリを飲ます人に不信感を持つか、自分を責めて自己否定になる可能性があります。

薬は脳全体に聞くことが分かっています。脳全体に聞くけれど、目的の作用がより有益だから、それを求めて薬を使います。上記の様に大人ではそれで良いのですが、子どもでは脳の成長、心の成長という観点からの価値判断はなされません。しかし子どもにとってそれが一番大切なのです。子どもの場合、その成長の過程で受けた対応で子どもの心ががオオカミになったり、犬になったりします。それは極端な例ですが、薬を使うことで本来子どもが得られる心の成長が阻害されたり、変化させられたりします。自然の成長からできあがる人格とは異なった人格になってしまいます。どの程度違うか、それは比べようがないことは事実ですが、異なる事は事実です。

病的な症状がなくなるから、それよりは良いと言う方がいますが、子どもの場合病的な症状は対応の変化、環境の変化で解決できます。それをしないで薬で解決して、例え解決が出来たとしても、子供の心の自然な成長が阻害されるなら、それは子どもとして、親として、そして人類として、不幸なことだと思います。それでも社会のためにより良い心に換えてくれるなら、どうなのでしょうね。薬には脳の機能を押さえて症状をなくするものと、脳の機能を高めて興奮させて、症状をなくするものとがあります。

足が悪い人が杖を突くように、心の問題点を薬で補うという考え方は間違いではありませんが、子どもに関しては、未だ全くなされていない、心の成長という問題を解決してから、薬を使うべきだと思います。今までの医学から推測されることは、程度の差はあっても脳全体の機能を押さえますから、成長をしようとする脳の昨日も押さえてしまうと考えられます。只、実験が出来ないので推測で、経験で議論をするしか方法がありません。